人工知能と数式処理システム

【今週の目次】
1. STEMウォッチ 2. 近況報告

1. STEMウォッチ
私が注目する「科学、技術、工学、数学」の情報を紹介するコーナーです。隔週で更新しておりましたが、今後は不定期更新とします。11月からの新コーナーにご期待下さい。

第5回 「人工知能と数式処理システム」

今年の3月、Google Deepmindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラムAlphaGoが、世界最強の囲碁棋士の1人であるイ・セドル九段を破り、ニュースになった。このAlphaGoに用いられているようなAI(人工知能)の技術は、今後、人類の知の拡大をどれほど加速してくれるだろうか。

Google Deepmindの共同創業者の一人であるDemis Hassabis氏は、インタビューで「AIにアシストされる科学」を目指すというビジョンを語っている。曰く、約15年後にはAI科学者がNatureの論文に著者として加わることになるかもしれない、と。この15年というスパンが的を射ているか否かはともかく、今や多くの研究者がその目標に向かって動いている。

ところで、ある意味では「AIにアシストされる科学」はとっくに始まっていると言えるかもしれない。というのも、MathematicaやMaple、フリーソフトではSageといった数式処理システムが、すでに科学や数学の研究において深いレベルで利用されているからだ。

先週の月曜日(2016年8月8日)、新バージョンのMathematicaがリリースされた。今回のバージョンには、幾つもの注目すべき実験的な新機能が追加されている。とくに、AlphaGoにも使われた深層学習を、専門知識なく利用できるニューラルネットワーク関連機能の導入は面白い。今後、市井の研究者が最新のAI技術をどのように科学や数学に応用していくのか、本当に楽しみでならない。

【カエルの確率47.8%の鳥】
bird

ちなみに、私のラップトップでもこの新機能を試してみた。10種類のラベル付き画像のデータベース(CIFAR-10)を使い、サンプルの神経網に約15分間の訓練をさせてみると、それなりの精度を実現することが出来る。(ただしまだミスも多く、例えば、上の画像については、カエルの確率が47.8%,鳥の確率が36.5%、猫の確率が6.8%などとなった。)

【参考サイト】
Demis Hassabis氏へのインタビュー記事として、2015年の記事(英語)2016年の記事(英語)を参考にした。AlphaGoのアルゴリズムに関する論文(英語)や、Deep Q-Network(DQN)に関する論文(英語)は、まだあまり読めていないが、各所にあるこれらの論文の解説記事なども大変参考になる。

宣伝ではないが、Mathematica 11に追加された新機能の紹介は、Wolfram Researchという会社が科学研究の未来をどのように捉えているのかが垣間見えて面白い。

 

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シリアスゲームと科学研究

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第4回 「シリアスゲームと科学研究」

2008年、ワシントン大学から「Foldit」というオンラインゲームが公開されて、話題となった。このゲームでは、コンピュータによるランダムな探索だと時間のかかる、タンパク質の立体構造を予測する問題を、誰にでも挑戦できるパズルとして出題している。

Folditのチュートリアル・パズルでは、水素結合の多い方がスコアが出る、などといったゲームのコツを学ぶ。そして訓練を積んだプレイヤー達は、競争して、また互いに協力しながら、実際の科学の問題である、タンパク質の構造予測や設計に携わることになる。このような、現実にある課題の解決を目的としたコンピュータゲームを「シリアスゲーム」と呼ぶ。

【Folditのスクリーンショット】
foldit

現実世界のある種の課題は、ヴァーチャル世界にシミュレートすることによって、訓練・解決に要するコストを低減出来るだろう、というのがシリアスゲームの立脚するアイデアである。

このアイデアが適用できる課題の種類は実に豊富で、特にここ数年は、教育・学習やトレーニング、健康・医療といった生活に密着する分野でのシリアスゲームが、急速に身近なものになった。今後、2020年までにシリアスゲームの市場規模は倍増するとの予測もある。

Folditの成功は、シリアスゲームが教育・学習に留まらず、科学研究そのものへも貢献出来ることを示している。今はまだ、研究分野のシリアスゲームはプレイヤー達自身にとってのメリットが小さく、通常のゲームに競り負けてしまう印象があるが、今後この状況が変わり、研究に欠かせないツールとして使われるようになれば、実に面白いと思う。

【参考サイト】
Folditについては公式サイト(英語)でゲームをダウンロード出来る。このページには、科学的な背景の説明や、出版論文のリストも置かれている。そのうち、Natureなどに掲載された幾つかの論文では、Foldit playersが共著者に加えられている。

本記事ではシリアスゲームとゲーミフィケーションの区別には拘らなかった。脳トレやフィットネスアプリもシリアスゲームの一種と捉えて参考にした。シリアスゲームの市場予測についてはMarketsandMarketsの調査報告書(英語)のサマリーなどがある。

 

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ニューロンの新生と記憶

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第3回 「ニューロンの新生と記憶」
「脳の神経細胞(ニューロン)は、大人になると新たに生まれることはない」という考えは長らく定説だった。しかし、実際には1960年代に成体ラットの脳においてニューロンの新生が生じていることが突き止められており、その知見が90年代後半になるまで広まらなかったことは、不運な成り行きであった。

今では、ヒトを含む哺乳類の脳の特定の部位(海馬など)において、生涯にわたってニューロンの新生が続いていることが知られている。また、海馬の新生ニューロンの機能についても、記憶の形成や抗うつ作用を担っていることを示す数多くの研究がなされてきた。

自発的な運動習慣やストレスのない生活が、海馬におけるニューロンの新生を促進させ、シナプスの可塑性を高めるということも、マウスの実験から知られている。

【photo】
Exercise

記憶における海馬の役割は膨大な知見と謎に満ちていて、今なお精力的に調べられているようだ。記憶アスリート達が用いる記憶術「記憶の宮殿」などでは、こういった海馬を働きを上手く利用しているように見える。彼らの洗練された経験的技術が、今後どのように科学の研究と結びつくのか、なかなか楽しみである。

【参考サイト】
脳におけるニューロン新生を初めて突き止めたアルトマン博士の仕事についてなど、各所に分かりやすい説明があるが、日本神経科学学会の「脳科学辞典」は素晴らしい。自発的な運動習慣がニューロン新生を促すことを示した実験についての論文(英語)は眺めるだけでも楽しめた。

記憶術に関しては、ジョシュア・フォア氏の「ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」という本がタイトルを裏切る濃密な面白さなので、お薦めである。

 

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DAOと暗号技術

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第2回 「DAOと暗号技術」

先日、The DAOというイーサリアム・ネットワーク上の新規プロジェクトに対し、プログラムのバグを突いた攻撃が仕掛けられ、巨額の暗号通貨ETHが転送されてしまうという事件があり、ニュースになった。The DAOは今年の5月にクラウドファンディング史上最高額の資金調達を達成したばかりで、幸先の良いスタートを切った矢先の衝撃である。

今回の事件を分かりやすく例えるなら、注目を集めるベンチャー企業が現金の管理を誤って大金を盗まれてしまった、というニュアンスになるかもしれない。しかし、The DAOは企業ではないし、盗まれた物も現金ではない。その上、そもそもこれが「盗み」なのかどうかも意見が分かれるのではないだろうか。難解な事件だ。

近年、これまで人や組織に預けて来た信用を、暗号などの技術や数学に対する信用によって置き換えようという動きが活発になっている。その象徴は、ビットコインをはじめとする暗号通貨の登場だろう。この動きを牽引する技術者達の野心的な試みは今や、通貨に飽き足らず、「DAO」を目指して動き始めている。

DAOとは分散型の自動化組織(Destributed Autonomous Organization)のことで、名前の通り、「中央」の存在しない完全なる分権型の組織を表す新しい言葉である。既に特定の分野では、「法の支配」を自動化することでDAOを実現することが可能になっている。ビットコインやイーサリアム、そしてThe DAOなどのプロジェクトも、一般名詞であるDAOの一種であると言えるだろう。

【DAOの概念図】
DAO_concept

こうした試みの中核には、公開鍵暗号やハッシュ関数などの暗号技術が用いられている。しかし、その安全性を保証しうる数学上の予想(「P≠NP予想」)はまだ解かれていない。つまり今のところは、「数多くの天才達が反例を探しても見つかっていないという事実」が、実用上の安全性を担保している状況である。

【参考サイト】
暗号通貨の中核技術であるブロックチェーンについては、各所に優れた日本語の解説ページがある。歴史的背景や技術的詳細については、英語の原論文を眺めると専門外ながらなかなか楽しめた。(著者が正体不明のビットコインの論文(pdf)、Yellow Paperと称しているイーサリアムの論文(pdf)。)

DAOの概念図は、大石哲之さんの分かりやすいアゴラの記事を参考にした。この記事におけるプロトコルと自然法則との対比が面白い。DAOについては他にも色々面白い日本語の解説記事がある。また、The DAOで最初に提案されたプロジェクトSlock.itの紹介動画(日本語字幕付き)にはワクワクせざるを得ない。

今回の事件について説明するイーサリアム・プロジェクトVitalik Buterin氏のブログ記事(英語)では、本当に可能なのか?と思うような過激な解決策が提案されている。一方、攻撃したハッカー側からThe DAOとイーサリアムのコミュニティに向けた挑戦状とも取れる公開書簡(英語)もあって、そのふてぶてしさには不謹慎かもしれないが笑ってしまう。この事件はまだまだ進行中なので今後の展開から目が離せない。

公開鍵暗号やブロックチェーンに使われているハッシュ関数(ビットコインの場合はSHA-256)については、アルゴリズムを説明する日本語のサイトが各所にある。P≠NP予想はクレイ数学研究所によってミレニアム懸賞問題にかけられている。その公式ページ(英語)にはレクチャー動画があったりする。

 

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重力波の観測と宇宙開発

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※追記(2016.6.23):公開後、コンテンツ毎に記事を分けました。

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第1回 「重力波の観測と宇宙開発」

今年の2月、重力波が初めて直接観測されてニュースになった。検出器が捉えた天体現象は連星ブラックホールの合体である。公転する2つのブラックホールが光速の約半分という凄まじい速さで衝突して、時空を波立たせる。そんなことが、この空の彼方で「実際に起きている」という事実は、想像すればするほど驚異である。

この重力波の観測範囲を将来大きく広げると期待されているのが、レーザー干渉計宇宙アンテナ(LISA)だ。LISA計画とは、広大なスペースを必要とする低周波の重力波検出器を宇宙空間に設置してしまおうという壮大なプロジェクトである。実現すれば、銀河衝突などの大規模な現象や、より遠くの現象も見られるようになる。

【LISAの想像図】
LISA-waves

昨年末、LISAの技術を実証する目的で、小型試験機「LISAパスファインダー」が打ち上げられた。現在、地球から遥かに離れた宇宙空間で技術試験を行っており、期待以上の精度を見せているとの報告もある。

近年、このような衛星打ち上げを含む世界の宇宙産業の市場規模は年々拡大し、経済成長率を上回っている。特に、民間企業による宇宙ビジネスへの参入・拡大の動きは活発になっていて、ベンチャー企業の成功が頻繁に伝えられるようになった。私たちは「宇宙大航海時代」の兆しを見ているのかもしれない。

さて、このタイミングの良い宇宙産業の成長は、LISA計画にもかなり良い影響がありそうだ。何より打ち上げコストが大幅に下がるという期待がある。将来、LISAや、より低周波の重力波検出器が打ち上げられ、重力波で宇宙の果てを見る日が来るのが待ち遠しくてならない。

【参考サイト】
最初の重力波観測についてはLIGO公式の日本語版まとめ(pdf)が、詳しくて面白い。先週発表された2回目の観測についても英語版フライヤー(pdf)が出ている。また、友人が、物理・宇宙・天文に関する質問に無償で答えるという素晴らしいサービス(重力波天文学徒さんのask.fm)をやっているので是非紹介しておきたい。

LISAパスファインダーの最新情報は公式サイト(英語)にある。宇宙産業の市場規模については米国宇宙財団の2015年の報告書(有料)のデータが各所で引用されていたためそれを参考にした。

宇宙ベンチャーのBlue OriginSpace X は公式サイトに動画があってワクワク感がすごい。日本では、インターステラテクノロジズが高度100kmの宇宙観測ロケット「モモ」の今夏打ち上げを目指していて、campfireで支援を募っている。

 

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